ティラたんが2021年9月21日に虹の橋へ行ってしまってから、今日は四十九日にあたるそうです。
この日までに心を整理して悲しみに一旦区切りをつける、ということらしいですが、わたしにはまだまだできそうにないです。
家中にあるティラたんの名残りを見つけては、気配を感じようとしています。残像もあいかわらず見えるし、ティラたんがいなくなったことを認めがたいです。ダメだとわかっていても、永遠に区切りはつけられそうにありません。
悲しみには波があって、強い日があったりやり過ごせる日があったり、すぐ無気力になる状態のくりかえしです。かといって、チェルたちがいるので日々3チワワの世話もおろそかにできません。
そんな辛すぎるときに限って思いがけずいろんな方から、励ましや寄り添いのメッセージをいただいています。まるでいつも見守ってくださっているかのように。
どなたもいろんな思いを抱えていらっしゃるのに優しさにあふれ、それにすがってなんとか乗り切ってこれていると思います。
実のところ、あの日からしばらくはいろんな用事に追われ多忙だったせいか、ぴぃーちのときほど泣き暮らしている状態にはありませんでした。ただ、頭の中はいつもぼんやりしていた感覚です。
しかし、1ヶ月たつと記憶が鮮明になりはじめました。前後の状況もまざまざと。
そして先月末、チェルとシュシュのトリミング日のことです。
2チワワを動物病院へ送っていったあと、家へ帰る途中の信号待ちでふと、
「ティラたんを抱えて動物病院へ、何度もこの道を往復したな・・・」
と思いました。
するとその瞬間、涙がぶわっと。自分でも驚きました。
あわててぬぐい他のことを考え、それ以上視野がさえぎられないよう気持ちをおさえながら必死で家へもどりました。
やがて、チェルとシュシュを迎えに行きましたが、また途中で涙がこみあげ、コントロールできないまま動物病院へ着いてしまいました。
受付前でチェルたちを待つ間もおさまらず、必死になんとかしようとしましたがどうにもなりませんでした。それが「わたし可哀想な人でしょ気づいてアピール」をしているようで情けなく、顔をそむけたりうつむいたり。
でも、こみあげる涙が止まらずにいると、最初から気づいていた様子のAHT(動物看護師)の方が誰もいなくなった待合室で声をかけてくれました。
「お母さん、大丈夫ですか。お座りください。お話ください」
そんな言葉だったと思います。
もう、そこからはありったけの後悔を吐くように話しました。
ティラたんを6度も肺水腫で苦しませたあげく死なせてしまった、金曜日の診察時が落ち着いていたとはいえ、あの土曜日と日曜日をどれほど後悔しているか、咳は多めになる時間もあったのに病院に連れて行かず、クルマに乗せると興奮するからと考え、この状態なら月曜日で大丈夫だと思い、日曜日の夜にご飯とオヤツを食べたからといって、どうしてそのまま様子を見ようと思ったのか、夜中寝ずに見守っていれば気づけて夜間救急へ走ることもできたのに、そもそもティラたんの病状はもうかなり進行していたのに、もっとなぜ慎重に行動しなかったのか。
看護師さんは一通り聞いたあと、
「あくまでわたしが思うことですが・・・」と前置きした上で、
「もし土日に連れてきていたら、そのまま入院になってしまったかも。ティラちゃんはお母さんとお家にいたい、弱った姿を見せたらお家にいる時間が減ると思ったのかもしれません」
と、いうようなことを話してくれました。
そして、「さわっていいですか?」といって、わたしの肩をさすりながら、
「よくがんばった!よくがんばったね!」と一緒に泣いてくれました。
号泣しました。こんなに人の手があたたかいと思ったことはありません。
また、獣医先生はティラたんが虹の橋へ行った直後、
「ティラちゃんは最初の肺水腫で亡くなっていてもおかしくない状態だった。それが今日までがんばってこれたのは、ボクの力でもなくお父さんでもない、お母さんがいろいろ考えて一生懸命やってきたからです」
というような言葉をかけてくれました。なんて言葉をくださるのだろうと、息をのみました。
けれど、実際はそうではないということは、わたし自身よくわかっています。
それでも、獣医先生の言葉も看護師さんの言葉も、とてもありがたく感謝の気持ちでいっぱいになりました。なんていい動物病院にめぐりあえたのだと、心の底から思っています。
ティラたんを長生きさせることだけが、わたしの生きがいでした。毎日ティラたんを見つめて世話をして、この3年2ヶ月を過ごしてきました。
なのになのに、油断しました。あの月曜日の朝、病院へ連れて行ったあとでさえ、夕方には回復してもどってくると思っていました。
さらに連れて帰ってくる途中も、翌日お別れするなんて思ってもいなかったです。
現在の家の中はチェルシーとエピとシュシュがいるのに、まるで犬がいないように思うときがあります。
ティラたんはいつもわたしが起きると起きてついてきて、1階に降りると2階の階段上から見下ろし、逆だと1階の階段下から見上げ、洗濯をしていると洗面所にもついてきて、台所にいるとそばに座って見上げ、庭にでるといっしょに庭へ、お風呂上りも浴室前に座って待っていて、外掃除をしてもどると玄関で待っていました。
わたしが笑っているとシッポをふってくれ、落ちこんでいると体を押し付けるように横へ座り、泣いていると涙をなめにきて、パソコンにむかっていると横でじっと顔を見つめ、前足で腕をちょいちょいさわっては、背中や胸をなでるよう指示していました。
くらべてはいけないのだけれど、誰もティラたんと同じことはしません。それぞれがたまに、似たようなことをしてくれるときはあります。
3チワワはみんな、ほとんど手がかかりません。お薬も飲ませない、飲み水も減らない、部屋トイレもあまり使わない、マーキングはしない、くり返していた手間や用事は減りました。
だけど、そんなことは減らなくてよくて、ずっとずっとティラたんの世話に追われたままがよかったです。
ずっと家にいられるようになって、24時間ティラたちのそばで過ごせた時間は幸せでした。大好きだったお酒もやめても、どこへも遊びに行かなくても、わたしにとって毎日が充実していました。
朝から一生懸命家事をして一息つけるようになると、ティラたんが寝ているそばへわたしも横になり、そっと近寄っていって、寄り添って寝るのが好きでした。ティラたんの体からは、いつもお日様のいい香りがしていました。その匂いをかぎたくて近づきすぎて、怒られたりもしました。
そんな、ティラたんに触れられた幸せな時間が終わってしまって、どうしようもない感情でいっぱいです。けれど、今のティラたんはすっかり元気になってぴぃーちとチェルのお兄ちゃんお姉ちゃんといっしょに、虹の橋のたもとで元気で楽しく過ごしている、そう信じたいです。
そして、いつかたどりつくつもりのわたしを必ずそこで待っていてくれるようにと、強く願うしかありません。
今日は本当に申し訳ありません。吐露したい気持ちをおさえきれず、皆さまからのお言葉に甘えました。
いつも本当に感謝しています。そして変わりなく、皆さまご家族ワンちゃんの健康と幸せな毎日をお祈りしています。